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愛というのは、生涯で思い出す回数 x 質

昔、僕が大学生だった頃に、自分の友達で、

 

中学生の頃から同じ彼女と付き合ってる友達がいて、

 

彼は、大学卒業したら彼女と結婚するんだという話があったんだけど、

 

でも、彼はちょっとヤンチャなタイプなので、

 

女の話になると、いつも、あのクラスのあの子は可愛いだとか、

 

あの子は絶対に俺に気があるだとか、そういうことをいつも言ってて、

 

だけど絶対に、シリアスな話、「浮気はしないけどな」という感じで、

 

守られるべきラインは必ず超えないっていう奴だったんですよ。

 

で、僕がなんの気になしに、「なんで浮気しないのか?」と聞いたら、

 

彼は、「多分、彼女はもう、そういう次元ではない」と言ってたんですよ。

 

その言葉を聞いて、かっこいいなあと思ったんだけど、

 

今、もう僕24歳ですけど、なんとなく分かるかなあって思うんですよ?

 

なんていうか、そこら辺の恋人候補と、長く付き合っている人への愛情みたいなものって、

 

どういうところが具体的に"次元が違う"かと申しますと、

 

それこそ、そこに至るまでに歴史とか、文脈なのかなって思うんですよね。

 

昔、村上隆という米国で成功してるスゲ〜芸術家の人がいるんですけれども、

 

彼が、こんなことを言ってたんですよ

 

「なぜ、どれもこれも同じようなアート作品で、高値がつくものと、つかないものがあるか?と言われれば、それは、文脈や歴史が金を出す富裕層に理解されてるか、そういうゲームであり、ゲームには明確にルールがある、僕はルールに従っているから強い」

 

 

まあ、なんか話が抽象的な方向へ行ってるかもしれないが、多分、人間関係(恋人の価値)みたいなものも、

 

このような歴史や文脈が大切なのかなって思ったりするんですよ。

 

今日のブログの記事のタイトルは、『愛というのは、生涯で思い出す回数 x 質』としたけれども、

 

例えば、僕はいくら彼女が可愛くても、普通に男なんで?

 

ガルガドット(映画、ワンダーウーマンの人)みたいな高身長スタイル抜群イスラエル美人が目の前に現れたら、

 

うわああなんて素晴らしい美しい人なのか?と羨望の眼差しで道を開けて土下座してしまうんだけれど、

 

だが、かと言ってじゃあ、なんか思い出すたびに、特別な感情が湧くかといえば別にそうではなく、

 

なんか、綺麗な人代表だなみたいな感じで、結局、頭に出てくるのは、その美しい肉体と、綺麗な顔。

 

しかし、例えば僕は、長年付き合った彼女とか、友達みたいな人について、思い出す回数は、確実にガルがドットさんよりも多いわけで?

 

しかも、どういうことを思い出すかっていえば、

 

『僕が月に一回イヤホンを無くすか壊す度に、彼女は数年前のイヤホンを今でも大事に使ってたよなあ』とか、

 

『前に通院したクリニックからお、金が払われてないと催促の手紙が来たと騒いでると思ったら、数ヶ月も前の支払ったレシート証明をちゃんと保管してて見つけ出してたなあ』とか、

 

なんか、そういう高密度のメモリーが思い出されるわけで?

 

そんな感じで、愛みたいな尊敬に値する感情というのは、その人のことを思い出す回数 x 質だと思ったわけです。

 

まあ、もちろん、僕の父親が僕のことを思い出すときは、あいつ、子供の頃は馬鹿みたいな不良行為やって馬鹿みたいだったな?

 

となると思うんで、ちょっとそこら辺の異論に関しては今回は受け付けません。

 

ということで、今日の話は以上になります。




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